ビジネスの世界で“仕事”と言えば、それは業務そのものを指す言葉であり、それをすることによって報酬という対価が得られる何らかの事との理解が一般的です。
ところが、家庭での仕事やボランティア的な仕事の場合はどうでしょう?
子供たちが親の手伝いをしたことによって得られるお小遣いは別として、その仕事では金銭的な対価が得られないのが普通です。
それでもそれを行うのは、その仕事をすることによって提供した価値に見合う金銭的なものとは別の価値が得られるからでしょう。
仕事をすることによって得られる価値とは
個々人が仕事をすることによって提供する価値に違いがあるように、その結果として得られる価値にも違いがあります。
時給千円の仕事を8時間することによって得られる報酬は8千円ですので、金銭的な価値は分かり易いのですが、それ以外の価値は個々人の価値観によって違いがあるものです。
或る人にとっては、その仕事をすることによって得られる『ありがとう』の言葉、即ち自分が行った仕事に対する相手の『感謝の気持ち』に大きな価値を見出すでしょう。
また或る人はその仕事が評価されることによる『昇進・昇格などの出世』が得られる価値と考えるでしょう。
いずれにしても自分が仕事をすることによって提供する価値に見合った価値が得られること、即ち『等価交換』であると判断できることがその仕事の評価に対する満足感につながっているものです。
仕事の評価に対する不満には価値判断の間違いもある
等価交換であると判断できることが仕事の評価に対する満足感を生むのであれば、等価交換ではないと判断できる評価の場合には不満となるはずですが、それはその仕事をすることによって提供した価値よりも、その結果として得られた価値の方が少ないと判断できる評価の場合だけと言えます。
当然のことですが、自分が提供した価値以上の価値を相手から得られた場合には不満を感じる人はいないからです。
しかしながら、ここで頭に入れておかなければならないことは、自分が提供した価値も、それによって得られた価値も、共に自分自身の価値観で判断したものであるということです。
これだけの価値がある(はずの)仕事をしたのだから、その対価としてこれくらいの価値を得られる(はずだ)と考えていた結果に対して不満があるとすれば、そもそも自分の価値判断に間違いがあるとも考えられるのです。
そこに時給千円という仕事の価値に対する報酬のような金銭的な価値の分かり易さとの大きな違いがあるのです。
価値の大きさは相対評価によって変わるもの
自分ではこれだけの価値がある(はずの)仕事との価値判断で仕上げた仕事も、別の人がそれ以上の仕事をしてより高い価値を提供した場合にはその価値が下がってしまいますので、それによってこれくらいの価値を得られる(はずだ)と考えていたものがそれ以下になってしまうことがあります。
それが相対評価というものであり、ビジネスの世界、特に上司による部下の仕事に対する評価としては一般的な方法ですので、例え自分としては”100”の価値を提供したと考えていた仕事でも、上司にとっては “80”の価値しかないと判断されることがあり得るのです。
またその逆で”80”の価値と考えていた仕事が“100”の価値と判断される場合もありますが、この場合は不満に思う人はいないということは前述の通りです。
このように価値の大きさは相対評価によって変わるものであり、その価値の大きさは提供する側である自分自身の価値観からではなく、提供される側の上司が判断するものであることは理解しておく必要があります。
1,000円のラーメンを提供する店で、値段のわりにこの店は他店よりも旨いと感じるのも、味のわりにこの店は他店よりも高いと感じるのもそのラーメンを提供された客の判断によるものであるのと同じなのです。
相対評価での仕事の価値を高めるためには
“100”の価値を提供したと考えていた仕事でも相対評価によって“80”の価値しかないと判断されることがあり、それに対して不満を持つのであれば、それを防ぐ方法は一つしかありません。
それは最初から相対評価を意識して“120”の価値を提供することです。
しかしながらここで重要なポイントは、その仕事を始める前に“120”をコミットするのではなく、あくまでも上司の指示通り、期待通りの“100”をコミットしておくことです。
その上で結果的に“120”と思える成果を上げることで相対評価での優位性を確保するのです。
但し、時給千円の仕事を8時間することによって8千円の報酬を得ることだけを等価交換と考えるのであればそのような考えは不要なのかも知れません。
しかしながら、そうした金銭的なもの以上の価値を得ようと考えるのであれば、それも相対評価の中でそれを得たいと考えるのであれば、提供する価値もそれなりに高める必要がありますので、こうした工夫も必要になるのです。