新社会人が選ぶ「理想の上司」松岡修造氏が初の一位
明治安田生命は22日、今春入社を控えた新社会人を対象に実施した、恒例の『理想の上司』ランキングを発表。男性上司編では、昨年1位のジャーナリスト・池上彰氏(65)を抑え、昨年2位だったスポーツキャスターの松岡修造氏(48)が初の1位に輝いた。
理想の上司の第1位…私もいつか言われたい言葉です(笑)
今、日本一熱い男と言えば?と聞かれれば松岡修造さんが一番に思いつくのではないでしょうか。
日めくりカレンダー「まいにち修造」が90万部を超える大ヒットを記録し、CM出演数ランキングでも13本で第1位。この夏にはリオデジャネイロオリンピックの応援でも熱い応援でお茶の間に強い印象を残しました。
今やテレビで見ない日はないほどの活躍を続ける松岡修造さんの熱くポジティブな姿勢を身につけられるマインドセットと、錦織圭選手を育てた一流アスリートの育成法について、2015年6月に放送された「金スマ 松岡修造2時間SP」を元にまとめていきたいと思います。
失敗したらガッツポーズ!
テニスを始めた頃の松岡修造氏はお兄さんの方がテニスのセンスがあり、お世辞にも上手ではなかったそうです。父親やコーチからはとにかく「ミスをするな」と教えられており、ミスを恐れて消極的なプレーに徹していたそうです。
そんな折に初めての海外遠征試合を経験したときに大きな衝撃を受けます。
相手のミスを誘う事はできたものの、相手のコーチは「ミスは気にするな、次行こうぜ!」と積極的なフィードバックを受け相手選手はミスを恐れる事なく積極的なプレーを行い結果的に松岡氏は敗戦します。
試合後、相手選手になぜミスを恐れる事なくプレー出来るのかを尋ねます。
「ミスは悪いことじゃない。失敗したら反省して次に活かせばイイじゃん!」
これを機にミスを恐れず積極的にプレーするようになり中学時代には全国優勝を果たすまでになります。
心の中に鬼コーチを持て!
「つい怠けそうな時、叱りつけてくれる存在を心の中に育てよう」
高校時代になると試合で勝てない時期もありテニスへの情熱が薄れ、指にタコができるほど麻雀にはまっていたそうです。ですがこれではいけないと一念発起し行動に移したのが柳川高校への転校でした。当時柳川高校はテニスの練習が厳しいことで有名だったため、強制的にテニスをやらざるを得ない環境に身を置くことで再びテニスに打ち込むようになります。
練習は地獄のように厳しく数週間も経つと辞めたいとも思ったようです。そんなある日、自分の心の中にもう一人の自分からメッセージをぶつけられたと言います。
「何サボってるんだ!なんのためにここに来たんだ!本当にお前は本気でやれているのか?」と、
心の中の鬼コーチは、自分が楽な方を選びそうな時に本当にその判断で良いのか?とあえて厳しい環境の中に自分の身を置くように、本来あるべき姿に導いてくれる存在なのです。
ポジティブ勘違い、バンザイ!
苦手だったボレーが試合で決まった時に「ナイスショット!」と嬉しさのあまり無意識に叫んだ時に、自分で言ったのに誰かに褒められた気になったそうです。それからというものボレーが決まるたびにポジティブなメッセージを自分に掛け続ける事で、はじめは勘違いと思っていた事も信じれるようになり最終的には自信につながったのだそうです。自信がつけばプレーにも反映されて結果も出るようになったそうです。
勘違いをきっかけに当時の世界ランキング1位の選手にも勝つ事ができ、ランキングも60位まで上昇したのです。
出来る、出来ないを決めるのは自分だ!
ポジティブな松岡修造さんでも唯一試合を始める前から諦めた試合があったと言います。それは試合当日の朝、目覚めた時に39度近い高熱を出した時です。父親に電話するものの「そんな気持ちじゃ話にならん。帰ってこい!」と一喝されて終わりです。仕方がないのでなかばヤケになり試合に臨んだのです。毎ポイント毎ポイント寒気に襲われタオルで鼻水を拭いながら、それでも出来る限りの力で諦めずに戦った結果、当時世界9位の選手に勝ったのです。
いかなる理由があっても最後まで諦めない事を学んだのです。それは子ども相手にテニスを教える時にも、ボールを追う事を諦めた子どもが居れば、諦めた事を強く叱責するのです。
なぜなら諦める諦めないは自分が判断するものだから。諦めなければどんなに難しい事だって出来る可能性はゼロじゃないってことです。
苦しいときほど笑ってごらん
「苦しい時、ムリにでも笑顔を作れば前に進む力になる」
ウインブルドンの大会前に半月板損傷で入院をした時に、松岡修造さんのファンである女の子がいることを聞き、面会を行った時のこと。笑顔がとても印象的な女の子で、「私の分まで頑張ってください」と激励を受けたそうです。それから数週間後、先生に女の子を聞くと白血病で亡くなったと聞き、大変なショックを受けました。
そんな出来事があってからというもの怪我や病気があり追い詰められたり悩んだり諦めかけたりするときにあの女の子の笑顔を思い出すようになり、笑ってみたら不思議と気持ちが前向きになってマイナスな思いが出てこなくなる、と松岡修造さんは言います。
崖っぷち、だーい好き
「ピンチの時こそ普段以上の力が発揮できるはず」
1993年から不調で世界ランキング100位にも入れず周りや自身でも「引退」の2文字を意識し始めていた時に、ウインブルドン本線に出場する選手に欠員が出たため代わりに松岡修造さんに出場のオファーが来ます。
そしてウインブルドンのベスト8を掛けた一戦。「この一球は絶対無二の一球なり!」と自身に喝を入れて何と勝利します。
「人は後が無くなった時ほど想像を越える力が発揮できる」と言ってましたが、まさに背水の陣の心構えで物事に臨む事が大事ですね。