世の中の天才達はどうして天才となったのか。
子供の頃から天才と呼ばれた人ももちろん存在しますが、多くの天才と呼ばれる人たちは最初からそうだったわけではありません。天才が天才と呼ばれるようになったのには理由が2つあります。
2.型にとらわれない、型破り力が半端じゃない |
天才が天才と呼ばれる理由は、努力量と型破り力が圧倒的だからです。一般人と比べるとそれは桁違いです。もしかするとそれができれば天才になれるかもしれません。
今日はそんな天才たちのエピソードを紹介します。
目次
天才達は努力の量と粘り強さと型破り力が半端じゃない
慶應義塾創設者 福沢諭吉
福沢諭吉は私塾に通っていたとき、布団で寝たことがない。読書中に眠くなれば、机に突っ伏して寝る生活だったそうです。
他にも研究熱心からか、「豚の頭を貰ってきて、解剖的に脳だの眼だのよくよく調べて、散々いじくった跡を煮て食った話」などが自伝で語られています。
『ファーブル昆虫記』著者 ジャン・アンリ・ファーブル
ファーブルは、お父さんの家業が失敗し、14歳で学校を中退しました。それから、14歳で肉体労働しながら独学で学問を続けました。貧乏だった為、肉体労働で食いつないでいたといいます。働きながら勉強して、その後師範学校を出て中学の教師になりました。人生をかけて様々な昆虫の観察を行い、それらをまとめて発表したのが『昆虫記』です。
蒸気機関設計者 ジェームズ・ワット
蒸気機関の改良発明家のジェームズ・ワットは、研究を完成させるまでに30年努力し続けた。技術者の執念です。
発明王 トーマス・エジソン
エジソンは、「なぜ」を追求しすぎて自宅の納屋を全焼させました。好奇心の塊だったエジソンは、「なぜ物は燃えるのか」と炎の動きを知るために、わらを燃やして自宅の納屋を全焼させてしまったそうです。好奇心のレベルが一般人のそれよりも圧倒的な人だったようです。
エジソンは少年時代、学校を退学となってしまい、正規の教育を受けられないという困難に見舞われましたが、図書館などで独学し勉強に励みました。新聞の売り子として働き、お金をコツコツと貯め自分の実験室を作った逸話もあります。
映画監督 スティーブン・スピルバーグ
スピルバーグは映画会社「ユニバーサル」に、関係者のふりをして潜り込み、そのまま居座って、ユニバーサルの空き部屋をオフィスとして勝手に使用したそうです。ハリウッドに出入りする中で、才能を認められ監督デビューが決まりました。
芸術家 ミケランジェロ・ブオナローティ
西洋美術史上最高の芸術家の一人と評されているミケランジェロです。数多くの有名な作品を遺しています。彫刻では20歳代のときの作品、『ピエタ』と『ダヴィデ像』が有名です。絵画では、システィーナ礼拝堂の『システィーナ礼拝堂天井画』と『最後の審判』があります。
一日中制作に携わっているミケランジェロが必要としたのは、一切れのパンとグラスワイン一杯だけでした。起きてる時間はとにかく仕事をし続けたそうです。
ジョン・フォン・ノイマン
ジョン・フォン・ノイマンは、神童と呼ばれるほどの天才です。この人は最初から天才だったかもしれません。。幼い頃より英才教育を受けて、6歳で7桁から8桁の掛け算を筆算で行い、8歳で微分積分をものにしたそうです。「世界史(全44巻)」やゲーテの小説などに関しては一字一句間違えず暗唱できたそうです。あのアインシュタインが「自分たちの中で一番の天才はノイマンだ」と言うほどの天才です。あらゆる学問の向上に影響を与えてます。
天才は天才たる所以があります。最後に天才・ニュートンの言葉を紹介します。
「目の前には手も触れられていない真理の大海原が横たわっているが、私はその浜辺で貝がらを拾い集めているにすぎない」
アイザック・ニュートン